不完全であってもいい
先日、日本人として初めて
アメリカ野球殿堂入りを果たしたイチローさん
野球界にとっても、日本人としても
とっても喜ばしいニュースでありましたね。
記者の投票によって決まる殿堂入り
394人の記者の中でイチローさんに
投票しなかったのはたった1人。
満票ではなかったことについて問われた
インタビューでのお答えがとても印象的でした。
『1票足りないというのはすごくよかったと思います』
『いろいろなことが足りない、人って。
それを自分なりに自分なりの完璧を
追い求めて進んでいくのが人生だと思うんですよね』
『やっぱり不完全であるというのはいいなと。
生きていくうえで不完全だから進もうとできるわけで。
そういうことを改めて考えさせられるというか、
見つめ合えるというかそこに向き合えるのはよかったなと思います』
“不完全がいい“という言葉
簡単に言えることではないと思いました。
不完全であることはどうしても
足りないことに目が向いたり嫌な感じがしたり
そのこと自体が嫌なものとして
自分の中に持っていたくないものになりやすいと思います
足りない部分を受け入れるって
簡単にできることじゃないですからね
イチローさんの言葉からは
不完全であることを受け入れながら補って進んでいく
今への満足感を忘れることなく、
さらなる向上心溢れる想いが強く伝わってきました
先日のブログでも少し触れたことと重なりますが
許し許されること(ブログ)
人と違うことや
足りないこと
持っていないこと
できないこと
生きていればいろんな側面に出会いますよね
足りない部分があるからこそ
人間らしいなって思えます
完璧であろうとすることは
自分を向上させる上で必要な時もありますが
でも完璧じゃないといけない!
と言うわけでもありませんよね
少しの不安を持ちながらも頑張っている姿だったり
失敗しても新たな道を探し挑戦をやめないことだったり
何度転んでも立ち上がるその強さがあること
そうやって足りないピースを埋めながら
進んでいくことができるのが人間の持つ力であり
そこが人間らしさの魅力的なのだと思います。
ピースを埋めている途中で
また別のピースが欠けたりするかもしれません
それでも、イチローさんが言うように
その部分を考えるからこそ
自分の人生を見つめ合えて
自分の人生に向き合っていける
自分なりの人生をこれでもかってくらい考えられるって
とても幸せなことだな〜って改めて感じることができました。
自分の人生に一生懸命だなって、
よりよく生きていこうとしてるんだなって
それだけですでに愛おしさを感じます。
ここまでブログを読んでくださりありがとうございました。
珍しく夜の更新となりました
今日も1日お疲れ様でした
ほっと一息ついて心穏やかにおやすみになれますように
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